いせひでこ著「七つめの絵の具」から

f:id:shirafuzake:20200219205816j:image

感動&同感!下記フレーズを共有させていただきます。

私は そのひとが蛾を追ふ手つきを あれは蛾を
捉えようとするのだらうか 何かいぶかしかつた(立原道造
恋をすると、虫をはらう手つきまで特別のしぐさにみえてしまうのか。愛しい人を想う心は哀しい。心はみえるものでもみせるものでもなく、感じられ信じられることで存在し得るものなのだろうが、恋心より切なく辛いものがあることを、私はこのごろにしてようやくつくづくしみじみ思い知った。——子どもを思う時の気持。ー140ページ

親の権威どころか貫禄も信念ももちあわせないまま今日まできてしまった私だったが、子供たちの不安やいらだちや悔しさには敏感だった。そして自分に正直に生きることだけは共有してきた。
絵は説明やいいわけをするために描いてきたのではなかった。解説するくらいなら描かない方がよい。表現通りに受けとってもらえないことに不満をもつようだったらそんな創作やめた方がいい。思いもかけない解釈や感想に出会って、世界の広さに気づかされる。人の心にふみこむことができないように、創作の真意なんて強要するものでもひきずり出すものでもない。その人の今の瞬間で切りとり、時間や偶然がその瞬間を永遠にしてくれるにすぎないのだ。ー142ページ

子どもたちの発見の後ろからついて歩くのが好きだ。電線にハトが54羽もとまっていたよ。雨あがり、裏の石垣にナメクジが78匹もいたよ。アリの行列みるために道路にしゃがみこむから、登下校のわずか5分のはずの道がのびたりふくらんだりする。より道できる子どもの目はすてきだ。
小さな体をふるわせて全身で理不尽にむかっている長女の前で私はいつもなす術をもてないできた。12年前の母子の原風景がある。ー143ページ

そもそも「癒し」とは、与え・与えられるものなのだろうか。災害、事故、事件、戦争の被害者たちの前で善良なる社会派は「癒し」を連発したがるが、それはむしろ不謹慎なことではないだろうか。深く傷ついた人にとって、なぐさめは説教に、激励は脅迫に、応援は攻撃になることさえあるのだ。関係性を無視したところでは、よかれと思ったことが中傷や評論に変質してしまうのだ。ー147ページ

booklog.jp